行者堂跡地に、記念碑と由来看板を建立。姫路市網干区興浜にて

姫路市・たつの市・太子町・相生市を中心にお仕事をさせていただいています、八田(はった)石材の八田俊之です。姫路市網干区興浜にて、行者堂跡地に記念碑を建立させていただきましたので、ご紹介いたします!

 

【姫路市網干区興浜 大高講行者堂 跡地記念碑】

 

今回は、網干区興浜にあった「大高講行者堂」という行者堂跡地に、記念碑を建立するお手伝いをさせていただきました。地元には自治会の行者堂保存会があり、「跡地に記念碑を建ててほしい」と直接ご依頼をいただいたことがきっかけです。もともとこれまでもお世話になっている自治会様で、町内の神社等でお仕事をさせていただいたこともあります。

 

こちらがその行者堂です。「行者堂」は行者の方がこもって修行をしたりするお堂のことだそうです。この大高講行者堂は長い歴史のある行者堂なのですが、建物の老朽化が進んで今にも崩れそうになっており、取り壊すことにされたそうです。取り壊すことになったのは正面の建物と左手の手水舎で、手前の門柱や参道は残します。

 

記念碑の設計図です。当店では、これまでにも色々な神社仏閣のお仕事をしており、石碑や記念碑も多数施工させていただきました。その施工例の中で気に入っていただけたものを参考に作成しました。

 

記念碑の横には、「大高講行者堂」の由来や、地域での行者講の始まりなどを記した看板を設置することになりました。その原稿の内容も、自治会保存会の方々とこのように校正を重ねて作成しました。

これによると、江戸時代にはこの地域に行者講(行者の方の集まり)があり、明治20年以降に大峰山と高野山から一字ずつとって「大高講」となって、大正年間には神社社務所を移築して行者堂としたとあります。長い歴史があり、地域の皆様で大切に守って来られたことが分かります。

 

建物の解体まで、他の業者さんで終えられました。こちらは、その場の写真に合成したイメージ図で、これを元に皆様と打合せを進めました。

 

完成です!

石碑の右側には、由来を記した看板を配置しました。最終的には、当初のイメージ図よりも少し右側に位置をずらして設置しました。

 

正面の文字は、自治会長様が書いてくださったものです。堂々とした文字ですよね。その場でスラスラと書かれていましたので驚きました^^

 

後日、記念碑の建立式典を控えています。保存会の方々はとても熱心に取り組んでおられて、文字を彫刻する前にはお店にお越しくださり、石を仮組してから原稿をあてがって文字の配置等の調整もご一緒にしました。こうして記念碑を残すことで、こんな歴史が地域にあったこと、それをこれまで大切に守って来られたことを形として後世に残すことができ、本当に良かったです。今後も皆様のお役に立てることがありましたら、お声かけいただければ幸いです。

式典には、本堂内にあったご本尊などをお預けする岡山県美作市のお寺の方も参列下さるそうです。皆様に喜んでいただけるのが楽しみです! お天気に恵まれるといいですね。

神社・仏閣・記念碑に関する記事

●相生市のお寺様にて、山門の石工事を行いました。敷居を木製から御影石製に取り換え、滑りにくいバーナー加工の貼り石
●姫路市白浜町松原にて、鳥居と玉垣、階段石の復旧工事。元通りきれいに、現代の技術でしっかり施工
●姫路市飾磨区英賀宮町にある英賀(あが)神社様にて、鳥居の建て替え工事。高さ17尺、岐阜県産中津川石の鳥居
●姫路市飾磨区英賀宮町の英賀神社様にて、鳥居の解体工事をさせていただきました。300年地域を見守ってきた、北木石の鳥居
●たつの市御津町にある皇子神社にて、鳥居の建て替えが完了しました。八幡型の鳥居、歩きやすくなった参道に合わせて
●揖保郡太子町の会社様にて、稲荷社の石工事をさせて頂きました。
●姫路市網干区の会社様にて、創業100周年記念碑を岡山県産万成石で作成しました
●たつの市御津町中島の皇子神社にて、玉垣工事が完了しました
●今年の干支、いのしし(亥)の石彫刻を設置しました。姫路市網干区宮内の圓勝寺様